スタン・ゲッツを聴く

スタン・ゲッツ ファンが勝手なことをいっているブログです。

Jazz Samba

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いろんなところでいわれているように、サンバでもボサノヴァでもない音楽です。やたらとこだわる人がいるけど、このさわやかさとゲッツの美しいフレーズはそんなことどうでもよく感じさせてくれる。呼び名が気にいらなければ変えてもいい、音楽自体は変わらないのだから。ちなみにクリード・テイラーは「アメリカ人にボサノヴァなんて名前はわからない」と言って、敢えてこのタイトルにしたそうだけど、うん、確かにボサノヴァではないから結果的にその点については良かったw

冒頭の「Desafinado」でゲッツが入ってきた瞬間のそよ風、まさにアメリカでの売り文句「ブラジルからの微風」にふさわしい。ジャズファンのすべてが、ボサノヴァに最も似合うジャズミュージシャンはゲッツだと思っているはず。全ジャズファンはボサノヴァの事実上のアメリカデビューがゲッツによるものだった幸運を認識すべきだよね。もしチャーリー・バードが帰国して最初にコルトレーンのところに行ってたら、ボサノヴァのイメージはまったく違ったものになったかもしれないから。

「Desafinado」はソロが1コードなのがちょっと残念。それでも相当売れたそうだから、当時のリスナーにとってはかなり新鮮だったのでしょう。後年ジョアン・ジルベルトと共演したときとはキーが違います。

「O Pato」や「One Note Samba」は思いっきりジャズ風のノリにアレンジされていて、ボサノヴァファンにはさすがに我慢できないかも?それでもゲッツが作るジャズとして素晴らしい出来です。サウダーヂ感ただよう「É Luxo Só」は、さすがの一言。繰り返しますが、これをボサノヴァと関連付けずに聴いてください。アメリカ人がそれっぽいことをやりだしたな、という程度で十分。

 でも「Bahia」はもったいないと思う。なぜなら、原曲の一番美しい部分が間奏的に軽くチャーリー・バードに演奏されるだけで、原曲ではインタルードのような短調メロディがまるでメインメロディであるかのようなアレンジになっているから。このせいで、「このアルバム、ラストの曲以外はいいんだけどなあ」と思った人もいるはず。これ、コルトレーンが1950年代に録音したものがそういうアレンジだったから勘違いしたのかな?

 

ジャズ・サンバ

ジャズ・サンバ