スタン・ゲッツを聴く

スタン・ゲッツ ファンが勝手なことをいっているブログです。

「Garôta De Ipanema」

(ここで言っていることはすべて「私の知る限り」の話なので、間違ってたらすみません)

アントニオ・カルロス・ジョビン作の超名曲「Garôta De Ipanema」邦題「イパネマの娘」、ちょっと数えてみたら、このブログを書いている時点でわかるかぎり、ゲッツは5テイクの録音を残しています。テンションで構成されたAメロが特徴的です。このメロディ、英語版の歌詞が作られる際に思い切りシンコペーションを改変されて、まったく違う曲になってしまいました。「Getz/Gilberto」でジョアン・ジルベルトアストラッド・ジルベルトの歌を聴き比べればわかります。ゲッツのふくよかな音色が曲想にマッチし、アストラッドに寄り添うオブリが「ゲッツは歌伴が得意」という評価を生みました。

ところがゲッツは「Getz/Gilberto」からのシングルカット盤(真の主役ジョアンの歌がまるまるカットされた伝説のEP)があまりにも売れてしまい、むしろジャズミュージシャンのアイデンティティが崩壊すると思いボサノヴァから離れるようになります。あまりにもみんながボサノヴァミュージシャンとして自分を扱うことがイヤになり、コンサートで「Garôta De Ipanema」をリクエストされると怒りだしたそうです。

といっても、1964年のアストラッドとのツアーでは当然「Garôta De Ipanema」をレパートリーに入れています。「Stan Getz And Guests Live At Newport 1964」でそれが聴けます。アストラッドの歌い方がなんとなくイヤになる録音ですが。それからビミョーな「Getz/Gilberto #2」、当初は未発表になったことに納得できる内容。

 

で、アストラッドとは(伝記によれば)肉体関係もあったそうですが最終的に喧嘩別れ。ようやくストレートなジャズに戻れると喜んだのかと思いきや、1966年のタングルウッドのコンサート、これはボストン・ポップ・オーケストラとの共演であり、もうボサノヴァなんて関係ないはずなのに、唯一のコンボ演奏で「Garôta De Ipanema」を演奏しているんですね。ちょっと意外です。

その後、なぜか1970年代には「Desafinado」や「Chega De Saudade」「O Grande Amor」などをレパートリーに入れながらもゲッツの代名詞的に扱われた「Garôta de Ipanema」は演奏せず。これには何か意志を感じたのですが、なんと1981年の「Aurex Jazz Festival 1981 All Star Jam Session」で再び演奏していることに驚きました。ちなみに日本公演の録音です。1981年と言えばゲッツがゴージャス主義から回帰して、コンボで小さいクラブでの演奏を再び始めた時期。考え方を変えたことが、やはり関係しているのかもしれません。

ちなみに、「Garôta de Ipanema」はFメジャーで演奏されるのが普通なのではないかと思いますが、ゲッツの場合この1981年の演奏だけがFメジャーであとは違うキーです。「Getz/Gilberto」と「Getz/Gilberto #2」でキーが違うのが不思議。