スタン・ゲッツを聴く

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ゲッツのボサノヴァとは

改めて考えてみましょう、ゲッツのボサノヴァ

ゲッツのボサノヴァがあまりにもヒットし、ボサノヴァの世界制覇にはゲッツが多大な貢献をしました。ゲッツがいなくても時間をかければボサノヴァの魅力は世界に広まったかもしれませんが、ゲッツが録音したから急速に世界中に広まったというのは事実です。公式のスタジオ録音では、以下のものしかありません。

 

1962年「Jazz Samba

1962年「Big Band Bossa Nova

1963年「Jazz Samba Encore!

1963年「Getz/Gilberto

1963年「Getz/Almeida

なんと、たった2年なんですよ。ゲッツはあまりのボサノヴァのヒットに「このままでは自分のジャズミュージシャンとしてのアイデンティティが失われてしまう」という危機感をもちます。とはいえ、スタジオ録音がなくても1964年はアストラッド・ジルベルトを擁してツアーしてるんですけどね。

とにかくゲッツは1964年1月にはゲイリー・バートンとのピアノレスカルテットを組んでいます。本人にとって、ボサノヴァのミュージシャンとみなされるのは本当に嫌だったらしい。あくまでもボサノヴァを軽視しているのではなく、自分はジャズミュージシャンだという気概から。

そうであったとしても、冒頭でも言ったように、ゲッツがいたからこそボサノヴァの世界制覇が短期間で完了したわけです。ジョアン・ジルベルトは偉大なミュージシャンですが、当時の世界環境、技術力で、南半球の音楽が世界を制覇するのは容易ではなかった。遅かれ早かれボサノヴァによる世界制覇は実現したと思いますが、「あれだけの短期間で」という条件をつけるならゲッツの功績は計り知れない。

ボサノヴァの大ブームで、ジャズミュージシャンは誰もかれもボサノヴァを録音しました。マイルス・デイヴィスキャノンボール・アダレイですら(あれ?ジョン・コルトレーンビル・エヴァンスボサノヴァ録音したかな?コルトレーンの「Bahia」はボサノヴァ以前だし。エヴァンスの「Dolphin」はブームの後か)。でもゲッツ以上にボサノヴァがマッチするジャズミュージシャンがいたでしょうか。よくソフトな歌い口で比較されるポール・デズモンド、彼はシリアスすぎてボサノヴァには合わない。デイブ・ブルーベックと別れてからのアルバムはボサノヴァタッチのものが多いですが、残念ながらどれもボサノヴァの精神をわかっていない。そもそも、チャーリー・バードのギターだけでボサノヴァの魅力をアメリカに伝えられたか。ブラジルにゲッツはいなかったけど、ゲッツこそがボサノヴァの魅力を引き出すことができたミュージシャンであると断言できます。

たった2年の活動でボサノヴァの代名詞となったゲッツ、タイミングだけではこんなことはあり得ません。はっきりって、パウロ・モウラやタンバトリオのベベートよりもボサノヴァにふさわしい演奏をしていたのです。

ほかのところでも言いましたが、過度にジョアン・ジルベルトに肩入れして「「Getz/Gilberto」なんてダメ」と言う人がいるのですが、「いい音楽かつまらない音楽か」で考えれば、非常によい音楽。実際、大ヒットしたという事実があります。大衆をバカにしてはいけません、大衆が受け入れた音楽はそれだけ多くの人に認められた音楽です。売れるからダメ、売れないからいいというのは当然間違い。