スタン・ゲッツを聴く

スタン・ゲッツ ファンが勝手なことをいっているブログです。

ゲッツは本当にダブルリップだったのか

以前の投稿でリンクを貼っていた、ゲッツのマウスピースについて言及しているページですが、後半にゲッツのアンブシュアについても記載されています。

ここに書かれていることが真実なのかはわかりませんが、chatGPTで翻訳すると以下のような文章がでてきました(おかしなカタカナ表記は、ママということで)。ちょっと長いです。

【ゲッツが使用した「ダブルリップ」と呼ばれるテクニックはしばしば痛みを伴い、不必要なキーキー音を引き起こしていました。そこで、1956年末にゲッツは新しいエンボシュアを考案し、下唇をカールさせて歯を実際に口ピースに触れさせるようにしました。前唇をわずかにカールさせ、顔をしかめたような表情でエンボシュアを引き締めました。彼は、ラバーのバビットやラバーのフロリダリンクを使用して、1962年までこのエンボシュアを使用しました。ボサノバ時代には、ゲッツは口ピースを口の中にできるだけ深く入れるようになりました。明確な説明はありませんが、ゲッツの薬物問題が彼を弱らせ、または彼のエンボシュアやアーティキュレーションを制御できなくなるほど病気になった可能性があることだけが事実です。1967年の「Sweet Rain」の「Con Alma」や「Captain Marvel」を聴いてください。ボサノバ時代やチック・コリアの融合時代に、スタンは「Bob Brookmeyer and Friends(w / Elvin Jones and Ron Carter)」という彼の最高のアルバムの1つを作りました。彼のサウンドは非常に滑らかでクリーンです。私は、ゲッツがエンボシュアを緩め、下唇を少なく使用して、より機敏かつ反応性の高い演奏ができるようにしたと信じています。彼の演奏と技術は彼の数年間で最高でした。ゲッツは、「Sweet Rain」を通して、おそらく薬物の鬱屈した日々により、通常のエンボシュアに戻りました。彼はそのエンボシュアでBurt Bacharachのアルバムを少し録音しました。

1971年まで、スタンの最も繁栄した時期は批評家が信じる逆のことでした。彼とチック・コリアとのフュージョンの日々は非常に成功しました。伝統主義者のゲッツは、自分の演奏やサウンドを変えることは好まなかったが、彼が置かれた状況が彼の変化を強制した。やがて、ゲッツは完全にソニー・ロリンズのエンボーシャーに変えた。ただ基本的で緩やかなものであった。しかし、1971年のコンサート・ビルでは、彼が以前のエンボーシャーで演奏しているのを目撃した。ゲッツはメタルのハリウッド・デュコフ5とセルマーDを手に入れた。彼は1974年にはすぐにゴムのリンクに戻り、伝統的なカルテットスタイルに戻りました。そして、1975年、ゲッツはジョアン・ジルベルト、オスカー・カストロ・ネベス、ミウシャ・ブアルケとのブラジルの再会アルバムを録音するように依頼されました。これは彼の最高のアルバムであり、最も過小評価されているものです。このアルバムでは一度もスクイーク音は聞こえず、スタンはいつものように清潔で叙情的な演奏を披露し、新しいブラジルの楽曲も演奏しました。ゲッツは5*バビットと緩やかなロリンズのエンボーシャーを使用し、1980年までこのように清潔に演奏しましたが、その後、彼の混沌とした薬物依存の生活が健康に影響を与え始めました。80年代は、最も物議を醸した1983年のスタン・ゲッツチェット・ベイカーストックホルム・コンサートを除いて、録音の荒野でした。そこでは彼は美しく、熱意を持って演奏しました。スタンには、自然に起こることしかできなかった彼の古いエンボーシャーを使用する選択肢しかありませんでした。彼は死の直前にマイヤーに変更しました。】

 

以上です。

まず、ダブルリップの難点をあげて、「そこで」と言っています。つまりダブルリップはやめた、というニュアンスになります。「下唇をカールさせて歯を実際にマウスピースに触れさせる」とは。下の歯はリードに当たるのでマウスピースに触れることはありません。ですのでこれは、「下唇をカールする」「上の歯をマウスピースに当てる」ということなのではないかと思われます。すると、この時点でダブルリップではないわけです。

さらに、それがどういうものであろうと、「Sweet Rain」を通して通常のアンブシュアに戻ったとあります。1967年には普通のアンブシュアだったということです。その後、ソニー・ロリンズアンブシュア(すみません、ゲッツ以外のテナー奏者に興味がないため、どういうものか知りません)にして、後年は「昔のアンブシュア」にしたそうです。昔の、というのがどれを指しているのかわかりませんが、体調が云々と言っているので普通のアンブシュアに近いものを指しているのでしょう。「80年代は録音の荒野」というのがどうも納得いきませんが。私は80年代以降のゲッツが最高だと思っているので。

さて、こう見てみると、ダブルリップの時代は1956年までか、翻訳の関係でわかりづらいですが、そうでなくても1962年までなのかなと思いますね。

ゲッツの写真を見てみましょう。顔がアップで写っているジャケットがいくつかあり、例えばこれ、

ちょっとダブルリップっぽいですよね。録音は1958年のものが収められているアルバムですが、写真がいつのものかはわかりません。

続いて、1975年のこちらですが、

若干不鮮明ですが、ダブルリップっぽくないですよね。

ボサノヴァ時代の写真としてはこちら、

なんとなくダブルリップっぽくないような。

最後に、晩年のアンブシュアを。

ダブルリップの場合は、もう少し上をカールさせて鼻の下が伸びているようになると思います。おそらく。(←いや、そうでもないらしい)

ということで長々と書いてきましたが、どうもゲッツはほんの一時期しかダブルリップにしてなかったのではないか?と思った次第です。とはいえ、確かに後年もダブルリップっぽい音色なんだけど。