スタン・ゲッツを聴く

スタン・ゲッツ ファンが勝手なことをいっているブログです。

意外な事実

Stan Getz | ジャズ, サックス

 

マニアの方はご存じで、「何をいまさら」と思うかもしれませんが、スタン・ゲッツに関する意外な事実をここに挙げてみます。

 

「1.ボサノヴァをやっていたのはたった3年」

 

ゲッツと言えばジャズの世界ではボサノヴァの代名詞ですが、本人は売れすぎて自分がボサノヴァミュージシャンと思われるのがイヤだったようです。

スタジオ録音としては1962の2月に「Jazz Samba」を録音して、1963年3月に「Stan Getz With Guest Artist Laurindo Almeida」で終わり。1964年8月にライブ盤ながら「Getz Au Go Go」を録音しています。1964年にはもうゲイリー・バートンとのカルテットを組んでさっさとボサノヴァから距離を置いています。あとは他のミュージシャンのように、ジャズに取り込まれたボサノヴァを演奏するだけ。とはいえ、ライブではリクエストもあったでしょうし本人もある程度はウケることをわかって、「Desafinado」「Chega De Saudade」を演奏していました。でもかなり長い間「Garota De Ipanema」は吹きませんでしたね。いずれにしても、ボサノヴァのゲッツと思われている割にはたったこれだけの期間、正規アルバムでは5枚だけ。あ、「Getz/Gilberto #2」は正規とみなしません。

 

「2.(正規盤としての)ヴィレッジヴァンガードでの録音がない」

 

ジャズと言えばライブアルバム、スタジオ盤より名演になるのがジャズ。そしてライブアルバムと言えばジョン・コルトレーンビル・エヴァンスソニー・ロリンズなどの録音で有名なヴィレッジヴァンガードというのが定番。それが、ゲッツの場合はありません。演奏したことはあるかもしれませんが、正規盤の録音がない。正確には1957年のものがあるんですけど、どうも海賊盤っぽいんですよ。そんなこというならマイルス・デイヴィスハービー・ハンコックヴィレッジヴァンガード録音はないぞ、というかもしれませんが、それでもゲッツにそれがないのは意外ですよね。バードランド、カーネギーホール、キーストン・コーナーはあるのに。いや、これらほとんどが海賊盤か。サンケイホールもありますw よく考えるとゲッツには正規盤のライブ録音が少ないのかも。海賊盤録音はかなりありますが。

 

「3.『酒バラ』を録音していない」

 

日本のジャムセッションでは「枯葉」よりメジャーな「The Days Of Wine And Roses(酒とバラの日々)」。スタンダードをけっこう吹いていた印象のあるゲッツですが、実はこの曲を録音していません。そんなこというならマイルスもコルトレーンも・・・(以下同文)ですが、でも彼らの場合はそんなに意外感はないですよね。ゲッツだからこそ意外に思える。

実はゲッツは自分のオリジナル曲がないのでスタンダードを演奏してきたような印象があるかもしれませんが、その時々にサイドマンのオリジナルを演奏してきましたし、レパートリーを一定期間変えずに活動していたので、そんなにスタンダードを幅広くは演奏してないんですよね。1950年代後半の北欧時代も同じような曲ばかり。だから初めて「People Time」が発売されたときはスタンダードを幅広くちりばめていたのでびっくりしました。

 

と、思いつく「意外な事実」を列挙してみました。ほかにも些細なことでいくつかありますが(「Kind Of Blue」 参加の7人いずれも共演経験があるとか)、それはまたの機会に。

 

チック・コリアとゲッツ

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2021年2月9日、チック・コリアが亡くなりました。

ゲッツはサイドマンにはほぼ無頓着だったそうですが、チック・コリアやトニー・ウイリアムス、スタンリー・クラークとの1972年のバンドは非常に気に入っていて遺留したとか。実際には1953年のジミー・レイニー脱退のときも遺留しており、そんなにサイドマンをどうでもいいと思っていたわけではないようですが、それでもチックに関してはかなり気に入っていたようです。

1973年頃からチックの代わりにアルバート・デイリーがピアニストとして加入しますが、デイリーの時代に頻繁にチックの曲「La Fiesta」「Times Lie」を演奏していました。1973年のライブ録音では「Litha」「500Miles High」を、さらに1974年のベルリンライブでは「Matrix」も演奏しています。デイリーはけっこうチックの曲をやらされていますね。その他、1975年の「My Foolish Heart: Live At The Left Bank」や1977年の「Live At Montmartre」など、ピアニストが代わってもチックの曲は演奏されていきました。相当チックの音楽を好きだったと推測できます。

チックとの共演は1967年の「Sweet Rain」が最初のようですが、このアルバムはとにかく素晴らしい。コンピングがすでに普通のピアニストではないと思わせます。ジャズ批評には、1968年の日本公演のときお忍びでゲッツとチックがダグに来て演奏した話が載っています。日野皓正クインテットが出演していたそうで、村岡建のサックスを借りて吹きまくったとのこと。ただ、村岡氏としては微妙だったでしょうね、気持ちは分かる気がします。

 

ゲッツは若手の発掘に定評があります。古くはホレス・シルバー、ほかにもゲイリー・バートン、スティーブ・キューン、ジョアン・ブラッキーン、アンディ・ラヴァーンなどその後花開く若手を積極的に取り立てていったわけですが、本人は単にギャラが安いから使っただけというのが真相のようです。それでもゲッツのおかげで多くの偉大なミュージシャンが世に出たわけで、ある意味ジャズメッセンジャーズのような意義をもっていたのがゲッツのバンドだったと思います。

 

ゲッツのオリジナル曲について

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基本的に、ゲッツはオリジナル曲を書かないミュージシャンとされています。それでもレコードにはゲッツ作曲とクレジットされているものもあります。それについて検証してみたいと思います。基本スタンスは「ゲッツはほぼ作曲などしていない」というものです。

まずは「The Complete Savoy Recordings」に収録されている「And The Angels Swing」。なんとなく「Hush A Bye」に似ている曲で、ちょっと素人が作ったようなメロディです。これがゲッツの曲かどうか、ここでは判断できません。続いて同じCDから「Running Water」。ちょっと思い出せないのですが明らかに何かのスタンダードのコード進行で、ソロをしているだけというパターン。クレジットはゲッツでも「作曲」ではありません。こういうのがけっこうあるんですよね。

Stan Getz Quartets」もなかなか数だけはあります。初期ゲッツではもっともおなじみの「Long Island Sound」。テイクによってかなり似てはいるものの、なんとなくのモチーフを使いながらアドリブをしているだけで、これも「作曲」ではないとみなせるのではないでしょうか。「アドリブなら、テイクが違うのにここまで似たようなフレーズになるか?」という意見もあるかもしれません。が、ゲッツの生涯の演奏を通して聴くと、50年代から90年代までまったく同じフレーズを使っていたりエンディングパターンが同じだったりするのが散見されます。だから、楽譜に書かなくてもアドリブフレーズのもとになるボヤっとしたモチーフを何度も何度も使うというのはあり得るわけです。

それから「Mar-Cia」。この頃のワンホーンで崩しまくるゲッツのスタイルからして元のメロディがありそうにも思うかもしれませんが、これもアドリブのみとみなせそうです。さらに「Crazy Chords」は完全にアドリブのみブルース。ついでに同じセッションの「Prezervation」に収録されている「Prezervation」は単なる「Crazy Chords」の別テイク、「Intoit」はアドリブのみ。

 

初期ゲッツ、1950年前後はけっこう判断が難しいものがあります。「The Sound」の「Standanavian」または「S'Cool Boy」、ゲッツとベンクト・ハルベルクの共作ともされていますが、ハルベルク単独でしょう。しかし「The Sound」には強敵三銃士「Tootsie Roll」「Sweetie Pie」「Hershey Bar」がいます。先に「Hershey Bar」をやっつけましょう。これはスタジオ盤でこそゲッツ作となっていますが、「Stan Getz At Storyville」ではジョニー・マンデル作とクレジットされています。そうすると残り2つも、マンデルまたはジジ・グライスのメロディっぽいと思うんですよね。ルーストのスタジオ録音では、グライスの曲を取り上げるのは1951年のセッションからですので、マンデル作曲ということでいいのではないでしょうか。ゲッツは1940年代からマンデルとバンドを組んだり、50年代には一時抜けたボブ・ブルックマイヤーの穴をマンデルにお願いしていた(マンデルはトロンボーン奏者)こともあるほど、懇意にしていましたから。

 

ヴァーヴの時代に行きましょう。1957年「Stan Getz And The Oscar Peterson Trio」には、CD追加曲を含めてゲッツの作曲として「Tour's End」「Bronx Blues」「Blues For Herky」の3つが収録されています。これらはすべてアドリブのみです。「Bronx Blues」「Blues For Herky」なんて「どブルース」、完全にハーブ・エリスの好み、彼の主導でしょう。

同じく1957年「The Soft Swing」から「Pocono Mac」「Down Beat」。どちらもアドリブのみのブルース。

Scandinavian Days」に収録されている「Fireplace Blues」、これはしっかりとしたブルースなんですが、どうもどこかで聴いたことある気がするんです。ちなみに「Live At Montmartre」に収録されている「Blues For Dorte」と同じ曲。ついでに「Live At Montmartre」には「Stan's Blues」という曲が入っています。ご存じ「Stan's Blues」には2種類ありますが、テンポが速い方です(と言えばわかるでしょう)。便宜上、速い方を「A」、遅い方を「B」としましょう。Aはビル・エヴァンスとの「But Beautiful」でも演っています。

 

1960年前後には、それらしいものが出てきます。「Stan Getz At Large」ではゲッツ作曲とされているものが4つありますが、「Stan Getz At Large Plus」ではすべて否定されています。一番物議を醸した「Amour」「Amor」または「Ah-Moore」、これはアル・コーンの曲という結論が出ています。「Just A Child」、これもジョニー・マンデル作という方が正しいでしょう。「Pammie's Tune」は北欧のゲッツと言われるエリック・ノールストローム(?)の曲。さらに「Cafe Montmartre Blues」、これはどうなんでしょうね。非常にその場で作った感のあるブルース。これだったらゲッツ作でもいいといいたいところですが、こちらではオスカー・ペティフォード作とあります。「Stan Getz At Large Plus」の方が正しいでしょうね。

1964年「Live In London」の「Getz Blues」は、「Stan's Blues」のAです。1977年「Affinity」の「Coda」は単なる練習フレーズ。このあたりまで来ると、出尽くしたという感じがしますね。

おっと、「Apasionado」が残ってました。収録曲は「全てエディ・デル・バリオ、ハーブ・アルパートスタン・ゲッツ作」とクレジットされてますが、論外です。ゲッツは上に乗ってアドリブを吹いただけ。

すると、最後に残るのが、「Stan's Blues」のBです。後年、頻繁にこの曲を演奏していました。このメロディ、「Stan Getz At Storyville」に収録されている「Jumpin' With Symphony Sid」のテーマではありますが、この曲は2種類のブルースを続けて演奏していますよね。前者がこのメロディでそのあと別のブルースのリフが演奏されます。レスター・ヤングによるオリジナル「Jumpin' With Symphony Sid」は後者のフレーズだけです。いえ、レスターを持ち出すまでもなく、「Getz At The Gate」でも後者のフレーズだけを吹いています。そうすると、前のメロディが誰が考えたのか。どうもその印象からしてジミー・レイニーあたりが考えたようなフレーズではありますが・・・

ところが、ウディー・ハーマンの「40th Anniversary Carnegie Hall Concert」ではジジ・グライスの作品とされている。ホントのところはどうなんでしょう。

 

ということで、ほとんど憶測でしたが、ゲッツの作曲かもしれないと思えるのは、意外にも最初期の「And The Angels Swing」だけという結論になりました。繰り返しますがけっこう素人的なメロディで、これなら10代のゲッツが作った言ってもむしろ納得できるレベルです。

 

2022年10月29日追記です。

ボーっと「Live In Amsterdam, Dusseldorf & Zurich 1960」を聴いていたら、ゲッツがMCで「Pammie's Tune」を「オリジナルチューン」だと言っていました。こういうのってよく聴くと「ピアニストのオリジナル」だとか言っていることもあるんですが、超低能力の私のリスニングではそういう附属はなかった。「My」という言葉も聴こえなかったので断言できませんが、これはゲッツの作曲なのか?